ある大学生の雑感をまとめるだけのブログ

色々なことについて思ったままのことを書きます

ブログ更新忘れててごめんちゃーい&最近の雑感

どうもバスターです。 昨年ブログ作ったはいいものの、すっかり忘れてて、Twitterで久しぶりに呟いたら ブログを認識して更新しなきゃという思いに駆られ更新 まあ誰も見てないからどうでもいいかもしれないのだが、 それだけを報告するのは勿体無いと感じるので、 最近の情勢をいささか投稿者なりの意見を少し発信する。(以下長文注意)

宗教二世の問題について

昨年から宗教2世の問題がマスメディアを中心に数多く登場し、それを専門にするジャーナリストも登場した。 それは結構なことではあるが、私のモヤモヤする点は、宗教2世の問題の本質がズレているのではないかと感じた。 まず、宗教二世の問題で第一に挙げられるのは「虐待」であろう。確かに昨今では児童虐待を疑われる行為というのは厳しくなっており、 社会的非難というのは凄まじいものではあるのだが、虐待を起こすいわゆる「毒親」というのは必ずしも宗教に起因するのかということだ。いわゆる毒親というのは、宗教以外にもさまざまな環境で起因される。例えばDV(家庭内暴力)などがそうであるように。 話を戻して宗教に起因されるとしても、その問題が新宗教だけの問題として片付けられるケースが多い。 では、既存の伝統宗教には同様の問題は起こってないのか。例えば、親からの信仰の強要や風習の押し付け、そのコミュニティーの強制参加などが伝統宗教の間で必ずしも起こってないとは断言できない。現に日本ではマイナー宗教と分類されがちであるが世界的にはメジャー宗教のイスラームであっても、日本のネット上ではイスラーム家庭と世俗化社会との板挟みになっている二世の苦しみが散見されている。 結局のところ、この問題というのは熱心な信仰家庭と世俗化されている現代社会とのギャップに戸惑うところが多分にあると考える。 「カルト」の異端さばかり着目されててこの部分にはあまり着目されてないように感じる。

以上を踏まえて

私が強く主張するのは、「カルト」の異端・異質性を判断するのは個々人によって委ねられるべきでであって大衆や社会ではない。戦前の日本は社会大衆がさまざまな団体を国家権力を介して攻撃してきた。そうしたことによって全体主義化が進んだ。こうした反省を踏まえなければならない。カルトの異質さによくあげられているのが、教義が「善悪二元論」的であると言われているが、私から言わせると現代社会の論調も十分善悪二元論的であると思う。ある種ワイドショーやネットニュースのコメント欄やSNSからも見てとれるが我が国の言論空間そのものを支配しているといえよう。ではこの宗教二世問題を解決するにはという話につながるのだが、私は個々人がカルト認定することによってこれは必然的に生まれてしまうと考える。であるならば、専門家などはカルトの異端さを指摘するのは構わないが、同時に日本社会に蔓延っている宗教的不寛容や言動の善悪二元論を強く指摘することが重要なのではないかと思う。