ある大学生の雑感をまとめるだけのブログ

色々なことについて思ったままのことを書きます

もう社会が判断することはやめませんか

こんにちは、バスターです 最近ブログを更新していなかったのですが、小ネタみたいなのを実はメモなどで溜めておいたのをこの際放出しようということで自腹くは更新するかもしれないです。以下本文です。

昨今のSNSの発達によって多くの市井の意見が可視化されるようになった。とりわけX(旧:Twitter)は買収前後の混乱はあれども、やはり他のSNSよりも話題性があると思う。私はリベラルを批判する意見も多々あり、反リベラルだと思われても仕方ないのであるが、しかしながら私はリベラルの精神自体は好意的であり、ある意味では意識していこうと思っている。多くの人は我が国の憲法で定められた内心の自由表現の自由というのは、支持しており、旧来の権威主義的な大日本帝国からの転換として尊ぶべきだと考える人が多いと思われる。旧来の社会では、個々人の判断よりも社会・体制の判断こそ全てという考え方が一般的で、社会が異質と判断すれば排除された。社会不安からくる正義の暴走が日本の権威主義を強化して、戦争の道を走らせた。先月発災から100年を向けた関東大震災は、被災後、外国人などがテロを起こすという社会不安から無辜の人々が殺された。これを批判する際に、外国人排外を止めるべきという論調が一般的で確かに正しいのだが、不安からくる社会正義の暴走と言う論点が抜けているようでならない。昨今の旧統一教会(以下家庭連合と記載する)の批判は凄まじいものであり、1990年代のオウム真理教事件報道に次ぐバッシングなのではないかと感じる。確かに家庭連合というのは現行の日本社会とは異質でかけ離れていると感じる人が多く、いわゆるカルト宗教という批判は1970年代からされてきており、2022年の安倍晋三氏の暗殺事件によって再燃され現在に至るというのである。昨今では政府が家庭連合の解散請求を行うとして大きな話題となっている。私は、家庭連合の解散請求には反対の立場である。そもそも私は家庭連合の良し悪しを判断するのは個々人によって委ねられるべきだと考えており、国家政府が宗教法人に介入するのは悪しき考えだと考える。こういった意見に対して、旧オウム真理教の事例を持ち出し人も大勢いるが、オウム真理教が起こした一連の事件は、裁判や捜査状況などから、教団トップの麻原(松本)氏がトップダウンで決められ数々の事件が発生しており、家庭連合の様々なトラブルとは毛色が異なると考える。そもそもリベラルの皆様方は、安倍政権時に制定されたテロ等準備罪共謀罪)に強く反発しており、現代の治安維持法だという意見や政府の統制を拡大させるものだという意見が大半を占められていた。私は、このリベラルの皆さんが嫌う政府の統制拡大が今まさに起きようとしているのではないかと思っており、しかも家庭連合解散を先陣きって願うリベラルの皆さんには深く失望した。こうした社会正義が行き過ぎることは、必ずしも良い結果を生み出してはいない。自由主義に転じた日本社会が権威主義的に帯びるのは私は我慢ならないと思っている。最後に改めて、物事は社会で判断するのではなく、個々人の判断によって委ねられるものであるということを強調して締めたいと思う